学部長エッセイ(2021.05)

06 うつる病気
05 「第4波」2
04 「第4波」1


うつる病気

 個人史的に決定的に重要だったのは、30代半ばから40代丸々の時期(1996〜2012年)を「医学部准教授」(最初は「助教授」でしたが途中で名称が変わりました)として過ごしたことです。自分の同僚の圧倒的大多数が医師であり、臨床に従事していました。専門的な資格が何よりもものをいう世界で、医学教育を全く受けていない極めてイレギュラーな存在が、全く意図せずに、最先端の医学・医療の現場のフィールドワークを長年にわたって行っていたことになります(言うまでもないことですが、山口大学医学部附属病院は、山口県で唯一の大学病院であり、特定機能病院です)。

 紛れもなく医学部の一員でありながら、同時にアウトサイダーであるという自分の立ち位置ゆえに、常日頃から、ふと気づいてみると「医学とは何か? 医療とは何か? ひいては、人にとって疾病とは何か?」という問題を考え(させられ)ていました。もちろん、最先端の医学・医療にも関心がありましたが、元々科学史の分野で専門的訓練を受けたので、問題を歴史的に考えることも習性となっておりました。

 現在でも潜在しておりますが、歴史的に見たときに、疾病を患った人間、すなわち患者は、同情と共感、そして援助・支援の対象であると同時に、恐怖と差別と偏見の対象であったことが明らかです。特に患者が患っているのが「感染症」(この言葉自体は極めて新しいものですが)の場合、この両義性はあからさまになります。

 人間が身体をもってこの世に誕生する以上、老いや疾病、そして死を免れることは不可能です。生物としての宿命と言っていいでしょう。そして、少なくとも、約1万年前に農耕・牧畜を開始して以降の人間の歴史は感染症との「戦い」の歴史──まったくなす術なく、「戦い」にすらなっていなかった場合も多いですが──でもあります(逆に、狩猟採集時代はそれほど大規模な感染症の被害は生じていなかったであろうと推定できるわけですが)。

 「(ひとからひとへ)うつる病気」の存在、あるいは「病気がうつる」という現象の認識は、起源を辿れないほど昔から幅広く共有されていたはずです(文字史料が残っていないので確言はできませんが、諸々の状況証拠からそう推定できます)。他方で「何がうつるのか」という点が解明され始めたのは、驚くほど最近のことで、19世紀後半、パストゥールとコッホによってです。今日のワクチンの直接の起源として名高い、天然痘の予防接種として行われたジェンナーの種痘法(牛痘法)[1]は18世紀末のことであり、それがなぜ予防できるのかというメカニズム(免疫)はもちろんのこと、何を接種しているのかも一切不明のまま、ある意味、カンと経験(天然痘と比べればはるかに症状が軽い牛痘に罹患した者は天然痘に罹らないという当時比較的知られていた経験的知識)のみに基づいて行われたことになります[2]

 その後の100数十年(19世紀後半〜21世紀)にわたる医学=科学の「進歩と勝利の輝かしい物語」は随所で頻繁かつ詳細に語られています。人類を約1万年にわたって苦しめてきた病原微生物、特にバクテリア(細菌)とウイルスの正体の解明。免疫のメカニズムの解明。比較的安全な予防法の確立(予防接種が「100%絶対確実に安全」とは言えないのが苦しいところですが……)。さらには、感染症対策の観点から極めて重要な衛生的な生活インフラの充実。

 こうした「進歩と勝利の物語」それ自体にケチを付けようとの意図は毛頭ありません。われわれ21世紀の日本に生きる者の圧倒的大多数が、極めて高齢になるまで生きることができています。20世紀前半まではとても考えられなかったことです。これが、医学・医療の発展に支えられ、衛生的かつ安全で飢餓に脅かされることのない社会を実現したことの結果であることは間違いない事実ですから。また、自分自身、5歳で盲腸を患い開腹手術を経験し、さらに小学校入学直後に腸閉塞で手術と比較的長期にわたる入院を余儀なくされた人間ですので、19世紀半ば以降の医学・医療の発展がなければ、5歳か6歳の時点でまず間違いなくこの世とおさらばしていたはずです。とてもケチを付ける資格はありません……。

 他方で、昨年来のコロナ禍は、医学・医療の進歩に依存して、無意識のうちに抱いていたわれわれ自身の「甘え」ないし「驕り」に対して、改めて警鐘を発しているように感じられます。特に、21世紀の日本で生まれ育っていると、今回のコロナ禍が生じるまでは、感染症の脅威を肌身で実感することなく、ついうっかりと「感染症は過去の話」との錯覚に陥ってしまいそうでした。今回、20世紀の「スペイン風邪」以来、一世紀ぶりの大パンデミックとなったコロナ禍は、「感染症」=「うつる病気」が徹頭徹尾「社会の病」であることを改めて教えてくれているようです。

 ここで、「社会の病」という言葉を用いたのは、医学・医療の進歩とは別の次元で、感染症があくまでも「ひととひとの関わり方」に関する病であるからです。であるからこそ、何百年、何千年も前と同じく「3密回避」のような「原始的」な方策が依然として極めて有効な対策ですし、われわれがいかに理性的に自らの行動変容をはかれるかが鋭く問われています。

 さらに、感染症の流行が人々を極めて不安な心理状態に陥れることも今と昔で全く変わりないことをここ1年半弱繰り返し痛感させられてきました。不安な心理状態はたやすく流言飛語の類を招き寄せますし、パニック的な対応も生じてしまいます。これは、多少怪しげな要素を含んでいても危機感を煽り立てる話を大々的にまき散らすマスコミが発達している分、現在の方が事態が悪化しているのかもしれません。自分自身、コロナ禍が本格化してから、常日頃にもまして、「情報に踊らされてはならない」ことを強く心掛けています。

 感染症に関して、歴史から学べる最大の教訓は、感染者に対する差別や偏見を決して許容してはいけない、ということだと思います。歴史上のエピデミックやパンデミックは、恐怖心に基づく、感染者(ないしは感染の疑いがある者、あるいはそうであると見做された者)に対する差別や偏見から数多の悲劇を生み出しました。「感染症」が「うつる病気」である以上、感染者が感染源になりうることは否定しがたい事実ですし、そこが感染症対策上一番難しい点ではありますが、そのことを理解した上で、それでもなお、病に襲われてしまった者に向けられるべき社会的視線は、「どうしたら助けることができるか」という「援助・支援」をベースにしたものでなければならないと強く思います。

 この連載エッセイの前回に、いわゆる「自粛警察」・「マスク警察」的な動きに対し「不快感を覚える」と記しました。コロナ禍のような強い危機的な事態を受けて自らの行動を律しようとすることはとても好ましいことと考えているにもかかわらずです。その理由ははっきりとしています。自らが「正しい」と信じている行為に反する者を「排除」=「自分から遠ざけよう」とする心理、あるいはそれを自己正統化する心理は、感染者を嫌悪する心理と通底しており、それは容易く差別・偏見へと転化し、直結してしまうからです。例えば、マスクをしていなかったり、3密回避を守らなかったりする者へのアプローチは「取り締まり」ではなく、共感・理解をベースにした説得であるべきだと思う次第です。

 「取り締まり」の発想と同根で、潜在している見解に、感染者を「自業自得」と見做すような発想があります。しかし、感染症はあくまでも確率的な事象です。どんなに注意していても、罹るときは罹ってしまいますし、逆に、全然対策していなくても、罹らないときは罹りません。身も蓋もない言い方ですが、平たく言えば「運次第」です。この点をわきまえておくだけで、差別・偏見が生じる可能性はある程度軽減できるのではないかと思います。  人間、自惚れやすい生き物であり、特に時間というファクターを挿入すると、「現在」を生きている自分は、過去の人間よりも優れていると思いがちです。しかし、コロナ禍という強い危機的な事態に直面し、われわれが問われていることことは、過去の人々が問われたことと本質的に差異はなく、結果として、われわれは本当に過去に生きていた人々よりも優れているのか試されており、正念場に直面しているのだと思うような次第です。


[1] ワクチン」は「vaccine」の日本語読みですが(発音自体はドイツ語の「Vakzin」の影響が強いです)、これは元々、ジェンナーがラテン語で「牛」を意味する「Vacca」から、種痘に用いた牛由来の物質(膿)を「vaccine」、さらにそれを接種することを「vaccination」と呼んだことから来ています。現在、「vaccination」は一般に「予防接種」の意味で用いられています。

[2] 天然痘に罹患した患者の膿や瘡蓋を直接接種する人痘法は紀元前のはるか昔からインドで行われており、その後、世界各地に広まったとされますが、これは、実際に天然痘を発症してしまう確率が高い危険な予防法でした。


「第4波」2

 例年、新学期が開講して3週間弱が過ぎた頃にゴールデンウィークに入ります。ゴールデンウィークは、たまたま短期間内に祝日が集中したことによって生まれ、時間をかけて日本社会に定着した慣習に過ぎません(制定されて日が浅い「みどりの日(5/4)」や戦後制定であることが明らかな「憲法記念日(5/3)」はもちろんのこと、端午の節句に起源を有する「こどもの日(5/5)」も戦後の祝日法の制定により1949年から祝日となったものです)。しかし、一大学教員としては、新年度がスタートしてある程度落ち着いたタイミング、とりわけ新入生にとっては新生活に少し慣れたタイミングでまとまった休みが入るのは好ましいことに感じられます。大学生活開始とともに生まれてはじめての一人暮らしをスタートさせる学生さんも多いです。新しい環境に慣れていく過程は、仮に自覚しないにせよ、どうしても緊張をしいられます。ちょうどそれが少し落ち着いてきたタイミングでリフレッシュし、その後の前期終了までの約3ヶ月を充実した日々にしてもらえれば、と毎年願っています。

 特に今年に関して、自分は、学生に対して行動の自粛を呼びかけたこともあり、ゴールデンウィークは完全に自宅に閉じ籠もっておりましたが、休みが明けた際に、「これからの2週間が正念場だな」と思っておりました。新型コロナウイルスは、感染してから発症までの潜伏期間が1〜14日と幅があり(実際には5〜6日程度のケースが多いとされていますが)、連休中に感染したとしたら遅くとも20日頃までには結果が出るからです。できればそうならないで欲しいと願いつつも、今年の正月休み明けのときと同じように、少し日数をおいてから感染が判明する学生が出てくる可能性は高いだろうと覚悟していた次第です。

 このため、連休が明けた5月6日(木)から毎日祈るような気分で過ごしていたのですが、残念ながら悪い予想は当たるもので、5月12日(水)の昼過ぎに、各学部の学部長や大学院研究科の研究科長等(あわせて「部局長」という呼び方をします)に緊急の招集がかかり、臨時の部局長会議が開催されました。12日中に全学の Web サイトでも公開された情報ですが、10日から11日に複数の学生が PCR 検査を受け、11日から12日にかけて陽性であることが判明したのです。この件については、ただちに大学のWebサイトでも公開されました[1]

 元々、今年度の授業実施計画を立てる際に、「原則として対面授業主体で実施するが、感染状況が悪化した場合はただちにオンライン授業に切り替える」ことを確認しておりました。特に、今回は、今後さらに感染者が出てくる可能性も高いという前提のもと、連休中の感染(とその濃厚接触者の感染の有無)が判明し、今後感染が拡大する可能性が低いことを確認できるまで、全面的にオンライン授業に切り替えること(当面、多少の余裕をみて5月21日(金)まで)がその場でただち決まりました。

 そして、学生のキャンパス入構をどこまで認めるかがもうひとつの論点でした。昨年度、山口大学は、全面的にオンライン授業を実施していたときも、学生の就学環境を可能な限り保証するために、学生間の距離を確保することが可能な図書館利用等は認めており、全面的なキャンパスロックダウンは実施いたしませんでした。今回は、流行の主体が感染力の強い変異株に切り替わりつつあること、また、近県の感染状況が極度に悪化しつつあること(実際、14日午後には福岡県だけでなく、広島県・岡山県にも緊急事態宣言の発出が決定され、山陽地方で緊急事態宣言が出ていないのは山口県だけになってしまいました)を考慮して、21日までは図書館も閉館し、1) オンライン授業受講のため、2) 食堂・売店の短時間利用、3) 各種相談窓口利用の3つの場合を例外とし、原則、学生のキャンパス入構を禁止し、時間を確保した上で感染状況の見極めを行うことが決まりました。

 以上の決定を行った12日以降、大学のWebサイトでも逐次的に情報を公開していった通りですが[2] [3]、山口大学は保健所と全面的に協力し、陽性者と、その接触者(濃厚・非濃厚を問わず)を追跡・検査することに全力を挙げました。そして、その結果、18日の段階で今後、学内でこれ以上感染が広がる可能性は極めて少なくなったと判断できる状況になり、全面オンライン授業(対面授業禁止)期間は当初の予定通り5月21日までで終了し、24日(月)からは対面授業を再開する決定を下しました。

 山口大学に限定していえば、ある程度まとまった数の感染者が発生した1月のときに引き続き、今回もほぼ無事に押さえ込めたことに心底安堵しています。しかし、山口県全体で見ると、これまでの第1波から第3波までは、全国の感染状況と比較すると平穏であった感染状況が、今回の第4波では全国的傾向と連動の度合いを強めてきたことは否めません(今回、はじめて1週間の感染者数平均が1日あたり50名を超えました)。また、新幹線で結ばれた近県で、福岡県だけではなく、岡山県、広島県でも緊急事態宣言が発出される状況となっていることが懸念材料です。特に、福岡県、広島県との人の出入りの遮断は、完全なロックダウンでも行わない限り不可能です。

 中期的な視野に立てば、現在の第4波もそう遠くないうちに一旦終息すると予測しますし、そうなることを強く願っています。他方で、第4波をしのいでもそれで終わりではないことも痛感しています。ワクチン接種が大々的に進行して状況が劇的に改善する可能性はありますし、そうなることも願っています。ただ、それが実現するにはまだまだ時間が必要ですし、それまでずっと警戒を続けていかなければならないことを今回のことで改めて肝に銘じました。

 日頃目にする都市部のニュースからは、「慣れ」や「対策疲れ」が感染状況の改善を妨げている印象を受けます。人間、長期にわたって常時緊張感を持続するのは困難なので無理からぬこととは感じます。また、俗に言う「自粛警察」や「マスク警察」のように、感染症対策として推奨されている方策を守らない人々を一般の人々が自発的に「取り締まる」ような動きが強まることも、正直不快感を感じています。

 ひとに向かって道徳的な言辞を弄することは、自分の柄ではないので、極力避けていることではあります。しかし、それでも、比較的長期にわたって、困難な時期を耐え忍んでいく術を身につけることを求められている現況下、感染症とは「ひととひとの関わり方」そのものに深く関連する病である以上、何よりも重要なのは「他者への配慮」に他ならないことを訴えたいと思います。感染症が流行している状況下、誰もが潜在的な感染者です。自らが感染しているかもしれない、すなわち他者に感染させうるかもしれない、という前提に立って、ひとつひとつの自らのささやかな行為、それが他者に対してどのような効果をもたらしうるのか、その点への想像力が強く求められているのだと思う次第です。

 今回の文章はリアルタイムで事態が進行する最中に書き継いできましたが、今、5月25日、昨日からキャンパス内に多数の学生の姿が復活しています。もちろん、感染症対策を行っているので一昨年までとは様子が異なりますが、やはり「学生がいてこその大学キャンパス」であると強く感じます。いつまでもこの光景が保たれることを強く願っています


「第4波」1

 自分自身にとって、(コロナ禍に限らず)感染症一般の流行に関して、1)「地域差が大きい」ことと 2)「短時日のうちに状況が急変しうる」ことの2点は長年にわたって「自明の前提」でした。

 ただ、昨年来のコロナ禍に直面し、一教員・一社会人として常に警戒心は怠らないように心掛けていたつもりでしたが、心のどこかで山口県内の感染者数の少なさに安心し、甘えている部分があったことは否めないようです……。客観的データとして、昨年末段階で山口県の感染者数の累積は600名を下回っており、死者はわずか3名でした。その後、年末年始休暇後に一時的に感染者が増えたときもありましたが、2月、3月は落ち着いており、マスコミを通じて流れてくる感染状況が悪化した地域の危機感をかき立てられる一連のニュースに接していても、「山口県はそれほどひどくないから」と若干の心理的距離=安心感が存在していたことに事後的に気づかされました。

 ちなみに、この連載の第1回の原稿の本体部分を執筆したのが入学式(4/6)の直後で、また、2・3回目は4月20日前後で、その頃までは、「どうか今の状態が続いてくれますように」と心のどこかで願いながら、やはり山口県の感染状況に甘えた部分があったのだと強く反省させられています。現実問題として、4月中旬には、政府の新型コロナウイルス対策分科会から都市部で第4波に入っているとの認識が示されておりましたが、第1波から第3波までのときと同じく、山口県は大きな影響を受けずにやり過ごせることを願っておりました。

 しかし、ゴールデンウィーク開始直前の時期には山口県でも1日あたりの感染者数が25名を超える日もチラホラでてきており、また、近県では、感染状況が大幅かつ急激に悪化しつつある県もでてきていました。こうした事態を受け、どうしても頭をよぎったのは、1月に山口大学生で感染者がある程度まとまって出たときのことでした。あのときも、多数の学生が帰省先から戻ってきて、しばらくしたタイミングで、山口大学生の中から感染者が発生したのです。

 さらに、連休開始直前に緊急事態宣言が発出された都府県では、感染の主体が感染力を強めた変異株ウイルスに入れ替わってきているとの報が不安を助長しました。昨年来の COVID-19に関わる諸々の情報の洪水の中で、わずかに心慰められていたのは、日常的に接している学生たちが含まれている「若年層では、感染しづらく、また仮に感染したとしても重症化する可能性が低い」という点でした。自分自身のコロナ禍に関連する諸々の思考の中で、無意識のうちにこの点は常に前提となっておりました。しかし、変異体ウイルスによって、この前提に修正を加えないといけなくなるかもしれないという点が不安を著しく助長した次第です。

 このため、連休後に山大生の間で感染者が頻発することを怖れ、ゴールデンウィーク開始直前(4/28)には、学部長として本学部の全学生に対し、以下の点を強調する文章を発し、改めての注意喚起を行いました。

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 ゴールデンウィーク中も「自分自身を守る行動(=3密回避)」の徹底をお願いします。感染症の場合、「自分自身を守る行動」=「みんなを守る行動」です。

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 実は、この文章を記した際に「できるだけ帰省は控えてください」との要請の一言を書き加えるか否か悩みました(結果的には、書き加えませんでしたが)。山口大学全体に共通する傾向ですが、本学部も急激に感染状況が悪化しつつある近県の出身者の割合が高く、さらにその多くは連休中に帰省します。通常単身で行われる帰省に伴う移動それ自体が感染リスクを大きく高めるとは思いませんが、帰省してしまえば様々な形で旧交を温めたくなるのは否定しがたい人情ですし、そして、そこに感染リスクが潜み込むことも否めないからです。

 他方で、感染症対策一般の本当に悩ましい点ですが、徹底した対策を施そうとすれば、どうしても「私権の制限」の領域に踏み込まざるを得ません。場合によっては、強権的にそうせざるを得ない状況が生じることも(大変遺憾ながら)十分理解できます。しかし、個人的な信条として、可能な限り強権的な措置は回避して「要請」ベースでいくべきだと考えていますし、また、その要請もできるだけ抑制的であるべきだと思います。

 もちろん、このような考え方に対して批判があることも十分に理解できます。飾った言葉を用いれば、「過度に理想主義的」とか「現実を直視していない」という表現となるでしょうし、ぶっちゃけた表現を用いるならば、「生ぬるい」とか「甘っちょろい」とか「脳内お花畑」という表現になるのだと思います……。

 このような批判には首肯できる部分もあります。特に、人間、頭では分かっていても、それが具体的な行動にはなかなか結び付かない、要するに「分かっちゃいるけどやめられない」生き物だと「人間の弱さ」を持ち出されたら、それを否定することはとてもできません。また、「人間の弱さ」に関しては、できるだけ、それを是認するスタンスに立ちたいと常に心掛けています。もちろん、「強くあること」は「理想」ですし、また、「理想に向けて努力するのは尊いこと」であるとも思います。他方で、「理想」は他者から強制されるような筋合いのものではないとも思います。また、仮に理想を掲げるとしても、なかなかその理想通りにはいかない「人間の弱くてダメな部分」もできる限り許容されてしかるべきであると考えます。いい歳をして自分がいかに弱くてダメな人間であるかの自覚はありますし、こうした考え方が自己弁護に過ぎないと批判されたら返す言葉はありません。しかし、それでも、他者から「こうでなければならない」と強く強制される社会は息苦しい社会であると思いますし、そのような社会で生きていきたいとは思いません。

 「脳内お花畑」との批判を覚悟の上で言うと、社会において何よりも重視されるべきは「寬容」の徳であると強く思います。自らの「弱さ・ダメさ」を自覚した上で、それでも、自らを律すべきは、あくまでも自分自身であり、決して他者からの強制ではないこと。その上で、自分とは異なる他者の考え方・あり方を最大限尊重すること。極めて困難であることは百も承知ですが、非常時の極めて動揺しやすい社会状況の最中においてこそ、こうした「原則」を重視していくことが何よりも重要であると考えています。

 コロナ禍に引きつけて言えば、感染対策上、成否の鍵を握る何よりも重要な事項は、「外部からの強制があるから仕方なく」ではなく、あくまでも自分自身の意志に基づいて、時々刻々と変化する状況に対して臨機応変に応じた理性的な判断に基づく行動変容だと考えています。もちろん、これ自体が「理想」であり、そうそう上手くはいかないだろうとも認識しています。それでも、決して「強制」とならない範囲内で、「理想」を掲げることにはそれなりの意義があるし、できるだけその理想に近づく努力をしたい、そんな思いで上記の文章をしたためたような次第です。