学部長エッセイ(2021.04)

03 「ありがとう」
02 新年度開講
01 2年ぶりの入学式



「ありがとう」

 前回の続きです。

 オンラインで初回の授業を行った1週間後の4月16日(金)、2019年度後期以来久々の100名規模の対面授業に臨みました。昨年度後期も、20名程度までの授業であれば対面で行ったのですが、昨年度の実情では、割り当てられた教室では100名規模の授業を行うのは不可能で、オンラインで実施せざるを得なかったからです。

 昨年度来、頻繁に(悪戦苦闘しながら)オンライン授業を行うようになって、繰り返し痛感しているのですが、自分はあまりオンライン授業(特に、最近頻繁に取り沙汰される、いわゆる「オンデマンド型」)には向いていない古いタイプの教員のようです。

 自分のオンライン授業は、いつも「リアルタイム双方向型」で実施しているのですが、受講生がビデオをオンにしていたとしても、画面越しだと対面のときほど舌が滑らかに回らないことをいつも痛感します。言葉で上手く表現するのが難しいのですが、目の前に学生が座っている「空気感」(?)がないとなかなか「スイッチが入らない」感じです。

 これは、講義型の授業を行う際の自分の授業スタイルも関係しているのかもしれません。自分なりに授業準備には手間暇かけ、90分の授業をどのように進行するか割ときっちり決めています(特に「本筋」の部分は、いつ、どのタイミングで、何をどのように話すか、自分用のシナリオを作成し、その要点をスライドに落とし込み、さらにそれを PDF にして学生に配布しています)。しかし、実際に授業を行う際は、そのシナリオを一切見ずに話すように心掛けています。理由は簡単で、シナリオよりも、受講してくれている学生さんたちの「生の反応」の方を重視したいからです。シナリオに関心が向いてしまうと、学生さんの反応をうかがうのがどうしてもおろそかになってしまいます。

 実のところ、授業準備のシナリオ作成の段階で、学生さんの反応も予測しながら作成しています。これまでの経験から、ここでこういう話をすればこのように反応してくれるだろうと想像しながら作っているわけです。そして、実際に授業を行ってみれば、予測通りの反応が返ってきていることを確認しながら授業を進めることもありますし、また、まったく予期せぬ反応が返ってくることもあります。

 教員生活も30年近くになりましたが、予期せぬ反応が返ってきた際に、臨機応変に対応していくことこそに「生」で授業を行うことの醍醐味があるのではないかと個人的に感じるような次第です。

 もちろん、オンライン授業にはオンライン授業の強みがあります。例えば、チャット機能を活用することで、教員に直接質問することのハードルは随分と下がったように感じます。また、時代の趨勢から、コロナ禍が終息したとしても、オンライン授業は今後ますます普及していくでしょう。しかし、これだけ動画のオンライン配信が普及しても、映画館に足を運ぶ人はいますし、さらには生身で演じられる舞台でさえも滅びていません。同じことが授業に関しても生じるのではないかと予想します。既に述べたように、生の授業には生の授業の醍醐味──「ライブ感」と言っていいのかもしれません──存在しているからです。

 大体以上のようなことを考えながら、今年度初めての&久々の大人数対面授業に臨んだわけですが、やはり教室の雰囲気は例年とは異なりました。教室は、入口に手指消毒用のアルコールが設置され、窓がすべて開け放たれています。また、学生は一人おきに座り、また、一番残念なことに全員がマスクを着用しているために表情が分かりにくくなっています。新入生の大学入学直後の対面授業で比較的緊張感に満ちていることは例年通りですが、緊張感の度合いが例年よりも高く感じました。さらに、鼻から口はマスクで覆われていても、視線の真剣度も例年より強く感じた次第です。

 ほどよい緊張感は授業実施にあたって格好のスパイスです。受講者が真剣に聴いてくれていると、こちらものせられます。自分自身、普段は、授業中ときおり机間巡回したりするのですが、今年はソーシャル・ディスタンシングのため、教壇から降りないように注意しながら(ついうっかり降りそうになってしまったところで、慌てて自分を押しとどめながら)、授業を行いました。

 例年も、授業の最後に A5サイズの用紙のコメントシートに、授業の感想、コメント、質問等を自由に記してもらっていますが、今年は自分の座った座席の番号も記して提出してもらいました。このコメントシートを読むのは授業後の最大の楽しみで、同時に、授業の内容を反省したり、次回の授業のマクラのネタを捜したりしています。

 特に今回は、昼休みに入っても熱心に書き続けている学生も多く、ほとんどの学生が A5サイズの用紙にびっしりとコメントを記してくれ、「真剣度が高い」という授業中の印象は間違っていなかったことが再確認できました。さらに丁寧にチェックしていて驚いたのですが、今年の新入生106名全員が出席していました(ちなみに、遅刻も0でした)。コロナ禍でなくても、大学の授業で100名の受講者がいれば2, 3人は体調不良等で欠席するのが当たり前なのに、素直に「すごいなあ」と感じました。

 コメントシートをチェックしていると、授業内容へのコメントというよりも「面白かった」という感じのシンプルな感想にもときおり出会います。「お世辞半分だろうなあ」と思いつつ、嬉しく感じているのですが、今回は、これまで出会ったことがない反応を少なからぬ数の学生が示してくれました。

 それは、「ありがとう」です。ただ「ありがとう」とだけ記してあるものも多かったのですが、理由も記してあったコメントだとこんな感じでした。

「対面での充実した授業をありがとうございました。また最近新型コロナウイルスの変異種の感染が拡大してきていて、少し恐いところはあるけれど、やはりオンラインよりも対面の方が授業の雰囲気や緊張感を感じられ、良いなと思いました。」

「対面で授業してくださることに感謝します。」

 大学の教壇に立つようになって約30年が経過し、これまで本当に様々なリアクションを受け止めてきましたが、授業を行ったこと自体に対して「ありがとう」の反応をもらうのは初めての経験で、本当に驚きました。教員である自分にとっても、学生にとっても、大学で授業が実施されること自体は「当たり前」のことと認識しており、そのため、授業を行うこと自体は特段、感謝に値することではないと無意識のうちに思い込んでいたことに改めて気づかされた次第です。

 そして、こうしたコメントが続出したことに触発され、今年の1年生が過去1年間にわたって置かれていた状況に思いを馳せました。彼ら/彼女らは、それでなくてもコロコロ変わる入試制度に翻弄されていたのに、自分たちが受験生本番となったらコロナ禍で従来の形の学習が不可能になり、延々と振り回され……。例年よりもずっと強いストレスに晒され続けて、ようやくこの教室に辿り着いたという心情が「ありがとう」コメントにつながったのだろうなあと推察します。

 彼ら/彼女らの期待に応えるために、より充実した授業を行えるように最大限努力しようと気持ちを新たにさせられた、今年度の初の対面授業でした。


新年度開講

 コロナ禍に関して、マスコミでは大都会を中心とした感染状況が特に悪化している地域のニュースばかりが流れますが、コロナ禍に限らず感染症一般の流行状況には地域差が通常存在します。山口県に限定してみれば、日によって数10人規模の感染者が報告されることもありますが、累計の感染者数も死亡者数も実はそれほど多くありません(2021/5/5現在でそれぞれ1925人と46人。ちなみに山口県の年間死者数は例年2万人弱)。もちろん、変異株の広まりによって連休開始直前には4都府県に3度目の緊急事態宣言が発出されるに至った昨今の全国的な感染状況を無視することはできませんし、また、状況が短期間で大きく変化する可能性もあり、油断大敵ではあります。しかし、「これまでのところ」という限定をつけた上で、山口県の数字を日本全体の数字(それぞれ、62万人と1万人)と比較するならば、「それなりに押さえ込めている」と評価できるのではないかと思います。

 よりミクロに山口大学に着目してみると、残念ながら昨年度20名の感染者が出てしまいました(今年度は、5月5日現在でいまのところ0人です)が、着目すべきは、(昨年度後期はそれなりの割合で対面授業を実施したにもかかわらず)学内で授業を行ったことに起因する感染者は0であったことです(感染のほとんどは、飲食やカラオケなど、学外での比較的大人数での学生間の交流で生じておりました)。

 以上のような状況を踏まえ、山口大学としては、今年度の授業実施の方針として、(万一感染状況が悪化したらただちに全面的にオンラインに切り替える準備は整えつつ)「学内の感染症対策のガイドラインを設定し、ガイドラインを満たせる場合は可能な限り対面授業メインで実施」という方針が策定されました。感染症対策と大学の授業実施をいかに両立させるかという点に関して、様々な考え方があり得るかとは思いますが、これまでの経験を踏まえると、それなりの落としどころではないかと思います。

 他方で、やはりこれまでの経験を踏まえると悩ましい問題がひとつありました。山口大学の学生の3/4は県外出身者です。そして、昨年度、県外の帰省先から戻ってきて、検査したら感染していたことが判明した事例が散見されました。このため、実家が遠方にある在学生には、授業開始2週間前には山口に戻ってきて授業開始に備えるように呼びかけを行っておりました。しかし、新入生にはこの手は使えません。遠方から山口大学に入学してくる新入生の大多数は3月末から4月頭に引越を行いますが、4月6日の入学式の後、7日、8日の短いオリエンテーション期間を経て、9日は前期の授業開講日という極めて慌ただしいスケジュールだからです。

 このため、1年生に関してのみ、「開講から1週間(9日(金)から15日(木))は原則オンライン授業」という方針が別途定められました。

 安全性を重視すればやむを得ないこととはいえ、これはかなりハードルが高い方針です。一昨年までのコロナ禍とは無縁だった時代、例年、丁寧にオリエンテーションを行ってはおりましたが、それでも開講から2週間程度の期間(特に最初の授業が行われる開講から1週間)は新入生の履修にあたって大小様々なトラブルが生じていました。これは、大学での履修に慣れていないので当たり前のことであり、通常は個々の教職員が対面でトラブルに対処していました。今年度は「可能な限り3密回避」ということで、入学式同様、新入生のオリエンテーションも「内容を厳選し、極力短時間で行う」よう指示がありました(このため、従来行っていた上級生との交流イベント等は中止せざるを得ませんでした)。他方で、「開講と同時にオンライン授業」ということで、全新入生が円滑にオンライン授業を受講できるよう準備を整えなければなりません。すなわち、完全に二律背反的な状況でした。

 昨年度、開講直後に、急遽「当面全面オンライン」の方針が定まった際は、ある程度円滑にオンライン授業が実施できるようになるまでに一月近い時間を要しました。昨今の新入生は、スマホであればほぼ全員が巧みに使いこなしておりますが、パソコンに関するスキルは千差万別です。なかには、大学に入学してはじめて本格的にパソコンを取り扱う人もいます。こうした状況下、教学委員会の有元先生・阿部先生、また新入生に ICT 関係の授業を行う赤井先生・杉井先生が献身的に動いてくださいましたが、それでも、対面で指導できる時間が極めて制限されている中、本当に「開講と同時にオンライン授業」の準備を整えることができるのか不安で仕方ありませんでした。

 正直なところ、実際に開講するまで、「何かトラブルが生じたら全力でそれに対応するしかない」と半ば開き直る気分と、「なんとか上手くいきますように」と祈るような気分が半々でした。

 今年度の時間割上、偶然ですが、開講日(金曜日)の2コマ目の新入生必修の「歴史学」を担当しておりました。1コマ目に選択の英語科目が設定されているので、それを履修する学生もおりますが、大多数の学生にとって大学で受講するはじめての授業であり、すべての学生にとって学年全体がまとまって受けるはじめての授業です。例年、1年生対象の最初の授業は緊張するものですが、今年は、「本当に全員きちんとオンライン授業に参加できるだろうか」という強い不安が加わっていたような次第です。

 授業を終えてみれば、案ずるよりも産むが易し、で授業開始時の受講者(オンラインで無事に接続できていた学生)は9割程度でしたが、時間の経過とともに参加者は増えていき、最終的にはほぼ全員が受講できておりました(後から聞いた話ですが、自宅での通信環境が不安な学生のために空き教室を受講用に開放しているのですが、本学部学務係の方々が教室を巡回して、アクセスに苦労している新入生を見かけると個別にサポートしてくれておりました。厚く感謝するとともに、そこまで頭が回らなかった点を反省したような次第です)。  ということで、心底安堵した今年度の開講日でした。


2年ぶりの入学式

 2021(令和3)年4月6日火曜日、2年ぶりに山口大学の入学式が挙行されました。

 挙行されたとはいえ、例年とはかなり趣が異なっていたことは否めません。例年であれば、学部と大学院の新入生の他に、来賓の方々や保護者や教職員も多数参列し、盛大に挙行されますが、今年は、午前・午後半々に分けて新入生の参列者数を減らし、壇上も学長・副学長・当該部局長のみ(私も午前の部のみ参列しました)で、保護者やほとんどの教職員には Web で Live 配信した動画を見ていただきました。また、式次第も大幅に簡略化され、極力短時間で終わるようにして挙行されたような次第です。

 また、式そのものではありませんが、入学式の終了後、三々五々式場から出てくる新入生を取り囲んでのクラブ・サークルの賑やかな勧誘合戦=新入生争奪戦もありませんでした。入学式恒例の風景としては、これが例年と一番異なった点かもしれません。

 入学式への参列は、新学部長として初めての大きな仕事でしたが、間隔を空けて配置された席に緊張した面持ちで座る新入生の姿を壇上から眺めながら、どうしても昨年の新入生のことを思わざるを得ませんでした。

 昨年2月末に、当時の安倍首相から全国の小中学校・高校に臨時休校要請が出た際には(北海道で道独自の緊急事態宣言が発出されようとしていたとはいえ)、「そこまでやる必要があるのか」という「過剰反応」を咎める空気がどちらかといえば優勢でした。しかし、3月の間に危機感がどんどん強まり、卒業式は急遽中止せざるを得ませんでした。そして、3月終わりの著名芸能人の死亡ニュースで国民の間の危機感は一気にピークに達し、4月7日には全国の主要7都府県を対象に緊急事態宣言が発出され、4月16日には全国に拡大されたような次第でした。

 今振り返ってみると、客観的な感染状況としては、今年よりも昨年の方がずっと軽かったのですが(特に山口県に関しては、当時、感染者数は僅少でした)、まったくの未知の事態に怯え、戸惑っていたというのが昨年の年度替わりの時期の日本の実態であったと思います。例えば、マスクの著しい入手難などの半ばパニック的な状況が当時の日本の状況を象徴しておりました。そして、そうした空気の中、日本中の大多数の大学にならって、山口大学も入学式の断念を余儀なくされました。

 昨年度は、教務委員長を務めていたので、タテの関係もヨコの関係も築く機会を与えられないまま、入学式も経ずに大学生活に突入した新入生に対して、極めて制約が多い状況下で、どのようにしたら高校までとは質の異なる「大学での学び」を届けることができるのか、という点に絶えず頭を悩ませていました(もちろん、新入生の件だけではなく、急遽留学を打ち切って帰国した学生たちにどのように授業を提供するかなど、他にも課題は山積しておりましたが)。この点については、振り返ってみると、決して完璧な対応ができたとは思いませんが、手探りの状況の中、全教職員が各々のベストを尽くし、在学生の教育に臨んだことは当事者として証言したいと思います。

 そして、昨年度1年間、特に前半の半年間、それまでであれば当たり前にできていたことができなくなってしまった環境下で、昨年の新入生=新2年生は本当に頑張ってくれたと思います。彼ら/彼女らの我慢強さと頑張りは称えられてしかるべきであると強く思う次第です。

 それでなくてもコロコロ変わる制度に振り回されっぱなしだったのに加え、突然のコロナ禍で外部から諸々の制約を強制され続けた受験生時代を乗り越えて、不安と期待に満ちた表情で入学式に臨んでいる今年度の新入生たちの顔を壇上から眺めながら、なんとかその期待に応えたいと気持ちが引き締まるとともに、簡略化された形ではあっても「今年は入学式が挙行できて本当に良かった」と感じたのは事実です。けれども、同時に、「大学入学式」という一生に一度のイベントを奪われてしまった昨年度の新入生=新2年生のことが脳裏に浮かび、「本当なら1年前にこの場にいたはずなのに……」とつい思いを馳せてしまうのでした。